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右・自白村民家の内部
おそらく、人間は、自然と訣別して文化的存在になった時に、自然の生命誌にもとずくコスモスを失い、「欠損動物」(ヘルダー)になってしまったのだ。
人間はたえず、カオスの只中からコスモスを自ら生産しなければならなくなった。宗教も含めて文化とはそうした人間がつくり出す懸命なフィクションに他ならない。
例えば、司馬遼太郎氏は『胡蝶の夢』で関寛斎について次のように述べる。
「ひょっとすると晩年に到達した心境は、一医とは、結局まやかしにすぎない。という思想に全身をさらわれたのではないかと仮に思ったりする。
医学は病者を癒すためにあるのだが、癒すという一点にかけては、宗教における怯−神秘的救済−と同様、多分に虚構にすぎない。宗教がその中核に虚構という空洞があるためにその空洞をとりまく神学の肉質が時代とともに精緻になっていく……」
(司馬遼太郎「胡燃の夢(四)新潮文庫)P372)
おそらく、文化こそが人間にとっての原罪の根源に他ならない。
竹内芳郎氏は、エリアーデを引用しつつ人間の文化の始まりは地母神殺しにある(楽園喪失)、だから、インドのカーリー神にしても、ギリシャのアルテミス女神にしてもまさしく血に渇く地母神として立ち現われる。神の怒りをしづめ、豊作を祈るための人身御供は世界各地にみられることであり。(竹内芳郎「意味への渇き」。筑摩書房P54〜55)
農耕が実は不断の自然破壊(地母神殺しに通じる)に他ならなく、それこそが文化だと定義さ

 

 

 

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